第7回 国際タピストリートリエンナーレ

第7回 国際タピストリートリエンナーレ 1992年
フライヤーより

インターナショナル・タペストリー・トリエンナーレ(ポーランド・ウッジ)にわが日本を代表する5人の作家の一人として、加藤祐子さんが参加すると識った時、思はず“快哉(ヤッタ)”と叫んだ。

もう10年ちょっと以前、加藤さんは京都・川島テキスタイルスクール専門コースで学び、インストラクターとしてスクールで働き、故郷、北海道へ帰って行った。その後、折々の消息はテキスタイル・デザイナー・インストラクター、そしてファイバーアーティストとして、たゆみなき精進を続けていることをしらせてくれた。

スクール専門コースは“プロフェッショナル・アクセス”を期している。感性・技術・情報のすべてにプロの至近に至らせることである。だが、プロへの壁の厚く、資質、意欲、努力をもってこの壁を破りプロの道を歩むものは、極めて僅かである。加藤さんはその一人である。新しい創造への期待を一杯に出来る作家である。

’91年の1月、加藤さんが中心になって結成された北海道川島のグループ展が、札幌の市内で催された。老妻を連れて、オープニングに参加し、美しい作品となつかしい方々との再会に酔いしれたのである。

スクールのI先生は、“加藤祐子さん”はとても素直な方だったと。広辞苑で“素直”を調べた。飾り気なくありのままのこと。質朴、純朴、正直、柔和とあった。きわめて適切だと思った。この素直さが加藤さんの作品の基調に在るにちがいない。

おおよそ、作品とは、その根底に作者の人間性と哲学、衝動としての感性、そして、素材と技術を媒体として生まれるもの。

加藤さんの始めての個展、“40×40cmの布達”(1991年9月・札幌INAXスペース)は、まさしく作者の人と思想とすぐれた感性が創り上げたテキスタイル・アートであった。道都大学の機関紙に作者が書いたエッセイはその哲学と造形への基本姿勢を明らかにしている。

“近年・ある形体が数を集積していくことで生まれるリズムやエネルギーに、時間の凝結を感じたり、より強い存在感を感じていた。それらの想いを今回の展示に表現出来たらと思った”

極めて明晰な思考と持続する感性が創造へ作者を駆りたてているかうかがうことが出来る。エッセイは続けて

“素材はできるかぎりナチュラルに、テクニックはきわめて単純に”

と。幸いにその作品をITF京都 ’91に協賛したスクール作品展で鑑賞することが出来た。作者の思想と意図が、きわめて確実に造形されているかをつぶさに識って、一入感銘を深々した次第である。

“展示を終わって、布達はただの布になって帰って来た。はたして、その問いに答えをもって帰って来てくれたのであろうか。”

と、先のエッセイは結んでいる。が、おそらく時間と空間の最緊張の中で、その存在を訴え語りかけ、謳い上げた布たちは、疲労して虚脱して、何も語らないのでなかろうか。

加藤さんの初期作品が手許にある。京都市立美術館での作品展に出展した「内包するうねり」を頂いた。日頃、その小品の素直なさわやかさを満喫して、楽しんでいる。乏もあり散文をつらねたが、加藤さんの明日に大々な期待をいだいている。

川島テキスタイルスクール理事長(当時)
木下 猛

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