ておりや通信「te」vol.60
2016 SUMMER 掲載
te・ひと・作品 vol.43
今年11月15〜30日、大阪府茨木市の「川端康成文学館ギャラリー」にて
染織造形作家・加藤祐子さんの個展「巣穴ふたたび」が催された。
不可思議な感覚を呼び覚ますその作品を〝体感〟すると同時に、
「織り」という世界の中で自由に羽を広げて表現する加藤さんに会うために、その会場を訪ねた。
自分を解き放つ
「巣穴」というテーマ
なんだろう、これは。この感覚。加藤祐子さんの個展「巣穴ふたたび」の作品群を目にした瞬間、自分に対して、あるいは誰に対するともない問いかけがわき起こった。
「巣穴」—例えばそれは地中の奥深く、人の眼に触れぬ場所で、生き物がからだを休めたり、命をはぐくんだりする場所。だからだろうか。しばらく作品と対峙していると、繊維を撚り合わせた「糸」(それ自体は〝動かぬ物質〟)を用いた静物、また非常にシンボリックな造形であるにもかかわらず、脈打ち、呼吸し、体温を有する、非常に動物的なものが見えてきたのだ。
そのことを加藤さんに伝えると「あ、そう、そうなんですよ」と明るく親しげな調子で返してくれた。私たちが訪ねた前日には、舞踏家・若松由紀枝氏がこの会場でダンスを披露したという。衣裳は、今回展示された「黒い衣の巣」と同じかたちの作品を接いで仕立てたもの。若松氏は、〝いのちのゆりかご〟としての巣穴の表現をこころみる加藤さんの思いをしっかりと理解し、昇華して「素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました」。
加藤さんはお小樽在住の染織造形家。「前は海、後ろは山」という土地に、陶芸家の夫とともに「日日(にちにち)工房」を開設。創作活動を続けながら手織り教室を開き、札幌の専門学校や文化センターでの指導にもあたっている。
活動の中心はもちろん北海道だが、かつて京都で織りを学び、さらに創作・作品発表活動をするなかで人のつながりは大きく広がっていった。こうして大阪府下で個展が開かれる運びとなったのも、加藤さんの作品を見た現代美術家・郭徳俊氏からの縁だという。私が彼女に会うのもこの夏、京都のギャラリー「ロンドクレアント」で開かれた二人展に続いて二度目。その会場ではアーティスティックな表現や技術に圧倒されたが、加藤さんは親しみやすい人柄で、話も弾み、彼女が数年来創作の核としてきた「巣穴」が見られる次の個展を楽しみにしていた。
「かつての私はもっと、いろんなことに力みがあった」と加藤さんは言う。
「例えば〝個展をするなら、何がなんでも新作でなくては〟というふうな…。でも〝巣穴〟というテーマに出会って、なんだかスーッと力が抜けて楽になったんです。いまの私は、人からよく〝あなたは自由ねぇ〟と言われます(笑い)」
今回の個展に際しても、既存作による構成を、時間をかけて練り上げた。だから「巣穴ふたたび」。こうして「巣穴」というテーマを俯瞰させてくれる作品がそろえられたのだ。
「織り」を介した
多様な表現
ちょうど40年前の1976年、「今日の造形—ヨーロッパと日本—」が開かれた。その後のアート界にも多大な影響を与えたこの展覧会が加藤さんとファイバーアートの出会いでもある。その会場で「ああこれだ、と思いました」。
当時の彼女は、東京の短大を出て、札幌でOLをしていた。織りは学生時代に授業で経験していたが、より本格的に学ぶことを決意。翌77年には職を辞して、京都の川島テキスタイルスクールに入学した。ずいぶん大胆な選択のようにも思えるが、まだまだ時代に〝元気〟があり、「それが特別なことと思わず行動できた」そうだ。そして北欧の織りなどに造詣の深い礒邊晴美氏らに師事、礒邊氏のもとで仕事もした。
ファイバーアート表現にはさまざまな手法があり、必ずしも〝織る〟という工程を経る必要はない。ただし「私は〝織り〟に固執してきました」。そして身につけた技術を、表現のために生かした。このたびの出品作にも、多彩な技術が用いられている。平織り。綾織り。二重織り。昼夜織り。スウェディッシュレース織り。長く伝えられてきた織りの技術が、斬新な造形に個々の表情を浮かび上がらせている。
* * *
加藤さんが最初の個展を開いたのは1991年。そこで披露した作品が、翌年のポーランド・ウッジ市でのトリエンナーレに推薦され出品することとなった。以後、隔年ペースで個展を開く一方、複数のグループ展にも参加。ここ数年はその回数も多くなっている。
こうした創作活動の〝柱〟としてきた一つが「布の集積」。織った布を集合体として表現するものだ。そしてもう一つの柱は「使われなくなった材料」を用いての表現。夏の二人展では古新聞を織った作品が目を引いた。以前にはコンビニの店先に掲げられた「のぼり」を裂き織りにした作品も手掛けた。
「巣穴というテーマとの出会いで、この二つを融合させることができました」
「秘密の巣穴」などは、布の集積の系譜の作品。また「立ち上がれ巣穴」の床部分は、亡き友が遺した糸を用いて織ったものだという。
「作品に触っても大丈夫ですよ。私の個展はいつもそう。だって織物ってやっぱり触りたくなるでしょう」。そう言われて、腰を落とし「立ち上がれ巣穴」の床敷きに手をあててみた。美しい草萌えの「春」、そして枯れ色の「秋」。その感触は、やさしく柔らかく、ハッとするほど生き生きしている。そのことに胸が熱くなった。
一度は主を失った糸たちは、追慕の念とともに染められ、織られ、造形作品として新たないのちを与えられたのだ。そしていま、地上から遠い天上世界を見つめ続けている。