手に触れた素材から生まれる ファイバーアート

月刊 染織α No.266 掲載
発行:2003年5月1日

さまざまな布、糸、紙との出会い。
北海道から発信する素材ゆたかな染織。

いまの仕事を始めたきっかけは、建築会社に勤めていたころ、東京で開催された「今日の造形(織)―ヨーロッパと日本―」を観たことです。私が短大生のときに制作していた織物とはまったく違う、織表現の可能性に驚き、その充実した内容の作品群に魅せられました。その後、勤めをやめて川島テキスタイルスクールのの専門コースに入りました。日本のファイバーアートのレベルの高さに触れると同時に、多くの可能性を感じました。
現在、私は北海道で3つの仕事を平行して行っています。第1の仕事は手織教室の運営で、自宅と文化教室で教えています。第2は受注制作の仕事で、織りに関する制作であれば、どんなことでも請け負っています。第3の仕事は、個展を中心に発表しているファイバーアートの作品制作で、時間の許される限り、この仕事に力を注いできました。

布の可能性を見つける

1980年、京都から北海道に帰ってきてすぐ、美術研究家の加藤玖仁子氏の自主講座「何故創る―糸と布で―」を受講しました。その講座の中で与えられた課題は、その後の制作のエネルギーとなり、大きな意味でのモチーフにつながっていると思います。
1回目から3回目までの個展では、40×40センチの布だけを使って空間表現しました。集積する布の部分(単体)と全体(空間)との関係だけが問題でした。布の可能性をさがしていたのだと思います。
1997年に東京テキスタイル研究所で執筆の依頼があったときに、それまでの自分の仕事を振り返り、何を作るかということを見つめ直しました。その文の最後に、工芸と芸術の交差点を行き来しているときの「混沌」を表現したいと書きました。1997年「対」、1999年「素材の記憶」、2002年「痕跡」は、過去の個展とは、全く違う展開となりました。その時々の出会いや出来事をモチーフにして、なるべく整理せず、自分の中の「迷い」が表現できればと思い、制作しました。

素材の特性を作品に生かす

 記憶に新しい2002年個展「痕跡」より、工程を追いたいと思います。モチーフとなった「痕跡」は、武蔵野美術大学の田中秀穂氏が札幌芸術の森で行ったワークショップに参加したことがきっかけで生まれました。ワークショップの足跡を会場に1点、綴織の額の下絵として残しました。色彩も、この時使用した墨にこだわって、モノクロームにしました。
少し前から設計事務所であまり使われなくなったトレーシングペーパーを使いたいと思っていたので、トレーシングペーパーに墨で円を描きながらペイントし、細長くカットして裂織のように織るための素材にしました。その絵を綴織の下絵にも使いました。
トレーシングペーパーは、墨が染み込まないので表と裏に色の違いができ、それを生かしたデザインの作品も作りました、また、トレーシングペーパーは、墨のない部分は光を通すので、その特性を生かした作品も考えました。白いトレーシングペーパーで、耳を表面に出しただけのかすかな痕跡の作品も作りました。1997年の個展から、会場に人型を思わせる作品を置いています。今回は本当の人型に布をかけて床に配置しました。かけてある布は人の年齢、思想などを表すために強撚糸を使い皺が出るように織り上げました。人型の作品は、私にとって今後も大切なものになっていくと思います。全場全体の構成は、光を通す作品の位置と床に置く人型の作品の位置を決め、あとはその作品との関係でどこにあればよいかで全体を決めていきました。

素材なら何でも手に取ってみる

綿、麻、ウール、絹など天然繊維ならすべて使用してきました。太さもその時感じるままに、化学繊維も作品にラメ(輝き)が欲しい場合は使っています。
染色は、基本的に化学染料で行います。糸以外に使用する素材もあります。例えばコーヒーの豆袋は、洗って染めたあと、裂いて使っています。織物にも使いますがもちろん、ボンドで固めてオブジェを作るときにも使います。新聞紙やトレーシングペーパーを染めることはせず裂いて織ったり、糸と一緒に固めてオブジェを制作することもあります。
織り込む作品は、強度を増すために、糸と交互に織ります。それを強調できる綾織にすることもあります。色彩、全体の構成について心掛けていることは、絵画的な表現の作品は、綴織とタブローとの違いを出すため、質感が出やすい糸を選んでいます。
素材に関しては、今までもそうでしたが、出会いに任せて何でも手に取るようにしています。特に時代の波に飲まれ、もう使われなくなってしまったものに興味があります。モチーフについては、もう少し人型を続けてみたいという気持ちです。
しかし、素材もモチーフも出会いから始まります。私の場合、今まで制作を続けてこられたのも多くの出会いのおかげです。誰かが私のことを「暗中模索の宿命的チャレンジャー」と呼んでくれたその言葉を、自分への励ましにして、新しい出会いを見つけていきたいと思っています。

(ファイバーアーティスト/かとう・ゆうこ)

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