私の制作ノート

Art & Craft forum
by Tokyo Textile Institute
vol.50 掲載(特集記事)
発行:2008年10月10日

◆その1―2008年制作と展示に関する覚書
(東京テキスタイル研究所の個展にむけて)

一月吉日
今年は十一月に東京テキスタイル研究所で個展が決定している。
同じ内容の展示を札幌でもしたいと思い、S社のエントランスホールの展示の申し込みをする。履歴といままでの作品の写真を添えて提出、ここでの展示は審査がありOKが出ると無料で個展が出来る。

○月○日
S社から残念ですの返事がある。審査会の意見を聞く、作品がバラエティに富み過ぎて何を展示したいかわからない。???私にだってこの時点で何を展示するかなんてわかりません。…要するに作品に魅力がないと言う事ですね。かなり落ち込む。
作家の在り方について考える。この作家はこの作風と決まることが大切なことなのでしょうか。例えばひとつテーマを追求するとか…飽きっぽい私には無理かな。
繊維の可能性を追求する点では一貫しているつもりなのですが。京都の川島テキスタイルスクールから帰って早29年、飽きっぽい私が織り一筋にやってこれたのは、素材の多さとそれぞれの味の違い、テクニックの広がりと深さ、それらを組み合わせる事でのバリエーションの多さ、表現の可能性はつきる事がなく飽きている間がありません。ブツブツ…言ってもしかたありません。

○月○日
札幌大通り美術館でグループ展「北の暮らしアート&クラフト」搬入、販売可作品を売るのは非常に難しい。
そう言えば今年は、札幌JRタワーの仕事はこないらしい。テーマを与えられて作品を創る、結構好きな仕事だったのに。昨年は「コロコロアートコレクション」キャリーバッグを作品にした。一昨年は「ワンダフルアートパレード」ラブラドール(犬)だった。こんな作品を喜んで作っているから、バラエティに富みすぎると言われるのかな。おっと、またぐちってしまった。

○月○日
大阪の公募展の作品「皮膜2」織り上がり。この作品は東テキの個展のテーマ皮膜の二作目、タオルの耳(タオル工場の廃物)を使った作品。この素材は昨年のエスキスの個展で試作を始めた。

○月○日
I氏から電話あり作品の写真を借りたいとの事。もしかして、作品の依頼か?

○月○日
公募展の作品「皮膜2」Y君のスタジオにて写真撮影。九州のS氏から「アジアファイバーアート展」出品依頼、参加の返事をする。

○月○日
I氏から作品の依頼、2005年の個展の作品「幟龍3」の展開で新たに作る事になる。この作品はコンビニの幟を使った作品。

○月○日
I・T・C(ジャパン・テキスタイル・カウンシル)の打ち合わせ。
「テキスタイルの未来形」9月21日〜28日札幌芸術の森美術館で開催決定。

○月○日
大阪の公募展「織り・表現としての手仕事」に作品発送。
マリヤクラフトギャラリー(札幌市)「KTS・HOKKAIDO染織展」搬入。この展示会は故木下猛元KTS理事長の提案によってスタートした会で、今年10回目になりました。

○月○日
「幟龍6」試作完成。I氏と打ち合わせ全体の完成図決定。
「皮膜3」試作始める。モヘアと紙糸を使う。

○月○日
「皮膜3」半分完成。アジアファイバーアート展のデーターの為、Y君のスタジオで写真撮影。
札幌芸術の森工芸館「サッポロクラフト2008」搬入。

○月○日
I氏からの注文作「幟龍6」完成。8月末日搬入予定。

○月○日
「皮膜3」完成。「アジアファイバーアート展」9月3日搬入予定。
「幟龍6」搬入。

8月末日
東京テキスタイル研究所発行「ART&CRAFT」の原稿完成予定。

◆その2―私の制作ノート

その1を書き、二つの文章(注)を読み返してみて、さまざまな出会いに無我夢中のまま、何かに追われるようにドタバタと創り続けてきたと感じています。
「暗中模索の宿命的チャレンジャー」(Art&CraftForum創刊号竹田恵子氏の文中)この台詞が好きで、このように在りたいと思いながらやってきました。今だ自身の言葉で素材論も創作論を持つ事も出来ず、探求するべき真理も見えず、の私です。

●1991年1回目の個展「40×40cmの布達」(INAXスペース・札幌市)今だにこの仕事を超える仕事をしていないと思っています。布の特性を捕まえた形態、簡便な展示、集積する布が見せる部分と全体は近づいて良し離れて良し、緊張感のある空間、自分で言うのもなんですがいい仕事でした。この後だんだん良くなるなら大した作家だったのですがそうはいきません。

●1993年「表裏」(アートギャラリーさいとう・札幌市)

●1995年「行」(大同ギャラリー・札幌市)は、40×40cmの布にこだわりました。それなりに楽しんで制作できましたが一回目の仕事と比べてしまい、満足できませんでした。この後グループ展に40×40cmの布をボンドで皺に固める仕事もしてみましたが、布の特性が無くなり難しい仕事でした。

●1997年「対」(時計台ギャラリー・札幌市)40×40cmの布に行き詰まって新しい素材に頼りました。いくら様々な思いを語っても、会場には表現の甘さばかりが目につき出来はいまいちでした。

●1999年「素材の記憶」(札幌資料館ギャラリー・札幌市)ますます素材にこだわりました。この時の素材は新聞紙とコーヒーの豆袋で、ボンドで固める仕事とタペストリーらしい織りの仕事をしました。この展示でタペストリーの力強さをあらためて知りました。技術と仕事の量が持つ力にも気づきました。単位面積当たりの仕事量は説得力があり、同時に素材の良さも引き出す事ができました。この事に気づいたおかげで織ることを大切にしていこうと思うことが出来ました。

●2002年「痕跡」(札幌資料館ギャラリー・札幌市)新しく出会った素材は、トレシングペーパーでした。半透明のその紙は墨をのせると光を遮断する、光と墨の痕跡を残したいと思いました。また、下仕事の為の墨絵が面白くて、その絵を再現した綴れ織作品も織りました。会場中央の人型のオブジェは余計であったかもしれませんが、その為に織った布が美しく、石膏で取った自分の手形も展示してみたい自分が居てまとまりのなさを感じつつも置いてしまいました。

●2004年「札幌の美術2004-20人の試み展」(札幌市民ギャラリー・札幌市)に選ばれました。一人に与えられたスペースは個展会場なみの広さでした。この時の素材の出会いは、コンビニの店舗前に在るコマーシャル用の幟と、かって薬が包まれていた薬包紙です。
「幟龍1」(のぼりりゅう)と「薬包虫」(やくほうちゅう)を制作しました。二作とも本当によく織りました。他に水槽に染液を入れてその中に幟で作ったぼんぼりを入れた「水中花」も出品、これも余計かと思いながらも置きたい自分がいます。アイディアが沸くと創ってみたくなり、創ると展示したくなるガサツな自分がいます。余計と思いながらも「水中花」は好きな作品です。水中花の仕事は北海道近代美術館のワークショップに取り上げられて子供達といっしょに沢山作って池に沈めました。この講座のおかげで幟が数多く入手出来ました。それまでは幟集めに苦労していました。

●「薬包虫」は2005年のグループ展「包むもの・包まれるもの」(北広島芸術文化ホール・北広島市)に構成を変え更に別な部分を加えて「薬包虫2」として出品しました。緊張感のある良い作品になりました。
何故か個展の時はあれもこれもと創りたくなり、余計と思いながら展示してしまうガサツな性格が出てしまいます。それにくらべてグループ展の時は、すっきりと勝負したくなるのが不思議です。

●2005年「Fiber展」(コンチネンタルギャラリー・札幌市)「幟龍2・3・4」と「水中花2」を発表しました。「幟龍3」は半立体的にしたのですが、なかなか面白い試みでした。この作品はU氏との二人展(ギャラリーDEN・大阪市)に別な構成で展示しました。二人展は個展ともグループ展とも違う新しい経験でした。自分以外の作り手の思いを覗き見した感じで良い刺激になりました。

●2007年「エスキス de エスキス」(カフェエスキス・札幌市)初めて喫茶店で個展、エスキス(試作)のための小作品を展示しました。顧客の層が今までと違い反応もさまざま聞けて面白かったです。「皮膜」の試作に手応えを感じました。次の個展のテーマにしたいと思いました。

●2008年「皮膜」(東京テキスタイル研究所・東京都)予定です。はてさて、どうなることやら見てのお楽しみ。
以上個展の仕事を中心にいままでの仕事で感じたことを思うままに書いてみました。あまりに様々な作品創りは、アイディアの放出に成りかねない危うさを持っています。
創り続けていればいつかは存在の意味が現れてくるかと、何か真理が理解できるのかと、おこがましくも思っていたのですが、そんな事は今の所起こりそうにありません。とは言え、制作は私に生きる力を与えてくれ、私を育ててくれていると思っています。多くの出会いの一つ一つを大切にして、今後も織物を続けていきたいと思います。
最後に、1999年発行 美と創作シリーズ「織を学ぶ」(角川書店)の中にある故礒邊晴美先生の文〈共通言語としてのテキスタイル〉の最後のことばを紹介させていただきたいと思います。

―テキスタイルによるメッセージ―

有史以来、人の営みのある所には必ずといえるほど、織物が存在し、それらを通して各地の文化を学んだり、その織物を作り出した生活背景や風土、人々の考え方などに想いを馳せるのも興味のつきないことである。テキスタイルが常に人間の皮膚に最も近いところあって、生活のあらゆる面で広く取り入れられていることにより、人には豊かな素材体験がある。それは共通言語のようにテキスタイルによる表現やイメージを親しみのある媒体として受け入れ、共有するものをみつけやすくしているのではないだろうか。

加藤祐子

(注)
※クロスロード 北から南から 1997年 ART&CRAFT 7号
※手に触れた素材から生まれるファイバーアート 2003年 染織& 266号